歌のお仕事の話。平井堅『楽園』

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時代を超えるために

 2000年1月19日、ミレニアムで印象的な年の幕開け。平井堅さんの『楽園』という楽曲がリリースされました。

 ぼくにとっては歌の世界でのデビュー作になりました。

Sony製のカセットテープから聴こえた未来のサウンド

 お仕事をいただき、ぼくが手にしたのは2曲のデモ音源が収録されたSony製のカセットテープと新曲の意向と平井堅さんに関するA4数枚の資料でした。

 お仕事をいただいたタイミングは、ぼく自身、人生が有頂天のように全てがうまくいっていたところ、あることから地面に叩きつけられたような、悲しみの中にいたその時のことでした。孤独を感じていました。

 ぼくの実家は当時、小さな洋菓子の卸を営んでいました。店舗の2階のくぼんだ場所にちょうどぼくの仕事机がありました。西向きのパソコンデスクに向かって、カセットテープが擦り切れてしまいそうなほどに何度も何度も聴きなおしながら、このうたを紡いだ記憶があります。

 不思議なのですが『楽園』を書いている時、ぼくの脳内には渋谷センター街の映像がありました。あらゆるスピーカーから『楽園』が流れている映像。スタイリッシュな姿で歩む平井堅さんの姿。

 音楽を未来へ運んでいる。そんなイメージがありました。

ライブな衝撃

 『楽園』を初お披露目するというコンサートでご招待をしていただき、その時、初めて平井堅さんとご挨拶をさせていただきました。目にしていた映像のままで、謙虚で真摯な姿に、ぼくは本物の歌い手の凄みを感じていました。

 その後も何度かコンサートにお招きいただき、生の音量での『楽園』に我ごとながら圧倒されました。すごく不思議な感覚がありました。徐々に大きくなっていく会場にも不思議な感覚がありました。

 初めてのお披露目の時、平井堅さんは何度も『楽園』のことを「名曲、楽園です。」とご紹介されていました。初めて歌う歌のことを名曲と紹介するというところにぼく自身は新人作詞家ながら、レーベルのこの楽曲への意気込みを感じていました。

 楽曲『楽園』が発売されて、ぼくの人生は劇的に変わりました。そのあとの22年も含めて、普通であればなかなか見ることのできない環境の変化だと感じています。これは言葉にすることが難しく、実際に体験したぼくだけの心の中にあるものです。

これからの道を

 あれから様々な歌を書かせていただく機会をいただいてきました。今もまたありがたいことに、各方面から少しずつお声がけをいただいています。

 悲しみと苦しみから、人生を終えようかと思ったことも何度もありました。実際にそれで周りに迷惑をかけてしまったことも何度もありました。だからこそ、ぼくはこれからそのような気持ちを人々が持たないようにできる活動をしていきたいと決めて歩んでいます。

 時代は喧騒と混沌の中、世の中の風景を見つめているとまるでこの時代が『楽園』の楽曲の世界観そのもののように感じてしまうこともあります。

 それでもぼくはこの楽曲に一筋の光を描きました。それはとてもつよい光です。この楽曲を時代背景と共に記憶している人の中では、重い空気感もあるだろうと思います。それでもこの楽曲が支持され続けている背景には、ぼくはぼくが描きたかった光、そして『楽園』制作関係者全ての光が注がれているからなのだと確信しています。

 当初売れるとは思われていなかった楽曲。それが一年を通してチャートから落ちることがないという不思議な売れ方をしました。

 あらゆることがあり得る時代。それでもどんな悲しみの中にも光はあり、ぼくたちの心の中には楽園はあり続けています。

 Let me fly…それは羽を広げた鳥のように、あらゆる概念を超えて自由に生きる姿。

 これからもぼくは自分にできること、与えられたことを、精一杯にこの身体と心から放ちたい。

 何があろうとも、光はあり続ける。

 ぼくたちの世界に光は輝き続けている。

Makoto ATOZI

(画像のCDは関係者用に配られたサンプル盤です)平井堅 楽園

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